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四国八十八所の霊場を信州の塩田で巡る その18 龍澤寺

江戸時代の元禄の頃、四国霊場の仏像を塩田に勧請した札所を巡る旅。18回目の今回は中野にある龍澤寺(りゅうたくじ)です。20番札所。
創建されたのは、古いお寺のある塩田では割に遅い方で、と言いながらも江戸時代の早い方ですが。約360年前の1654年に龍光院の当時の住職が開きました。
宗派は、龍光院の末寺になるので曹洞宗。龍光院の「出世寺」という性格の寺だったそうで、ここで修行して龍光院や真田の信綱寺に移っていったということのようです。
四国霊場の仏さまは3体が安置されました。元禄6年(1693年)のことですから、寺ができて約40年後のこと。ほかの札所の寺の創建時期を考えると、滑り込みセーフみたいですかね。
現在、住職は常駐していない、いわゆる「無住」で、龍光院の住職が兼ねています。普段は人がいないということです。
でも、本堂の中はきれいで、手入れが行き届いているという感じです。本尊は釈迦如来。その下の床はピカピカです。いつもは扉が閉ざされているのでわかりませんが、札所巡りの際に撮影させていただきました。無住とは思えない!
 四国霊場の3体の仏像は、今は龍光院で安置されています。真ん中に薬師如来、向かって右に地蔵菩薩、左に千手観音。いずれもきれいな状態でお祀りされています。

 

 

 

 

 中塩田の中野。今は塩田の中心地ですが、江戸時代は違ったようです。中野も含め中塩田は山が遠く、米作りの肥料や家事の焚き付けに必要な草木は遠くの山まで取りに行かなければなりませんでした。貧しい人も多かったようで、古文書を見ると、村から逃げ出す人もかなりの人数だったとか。それを救おうとした犬飼精兵衛という方の功績を称えた碑が龍澤寺の向かいに建てられています。
そんな苦しい時代の中で、民を救おうとする釈迦如来を祀る龍澤寺。村人たちの信仰の中心だったのではないかと思います。(F森)

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