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塩田平はお米の一大生産地。江戸時代、上田藩5万石のうち塩田は3万石。藩の6割を誇ります。1石は、一人が1年間で食べる米の量。3万石ということは、3万人の食を支えたということです。
でも、江戸時代から明治・大正・昭和にかけては、米だけではなかったんです。それが養蚕。蚕を育てて糸を取り、生糸を国内外に出す。上田地域は特にこれが盛んで、江戸時代末期には、全国に先駆けて、横浜から輸出も行われました。
そんな時代、生糸を取るための蚕を生産するために、塩田では、その卵(蚕種)を育て出荷することが、養蚕だけでなくさかんに行われました。
蚕は、春と秋に孵化するのが一般的ですが、暑い夏でも卵を保存し孵化できるようにするためには、冷たいところで保存できることが必須です。それができるのが風穴(ふうけつ)です。冷蔵庫のなかった頃、地面から出てくる冷気を逃がさないようにした、天然の冷蔵庫と言える風穴が特に明治から大正にかけて日本でたくさんできました。
蚕種製造が盛んだった上田地域では特にそうで、塩田でも風穴が造られました。
山の斜面から出てくる冷気を貯めるため、周りを囲い、冷たい空気を逃がさないようにした、言ってみれば冷蔵室です。
その一つが、別所温泉の上の方にある森林公園近くの「氷沢の風穴」。「こおりさわ」の字からして涼しそうですが、夏でも中は一桁台の気温です。10年ほど前に駐車場からのアプローチの歩道や風穴そのものも整備されました。
もう一つ紹介するのが「独鈷山風穴」。前山にある龍光院の横の山道を400mほど上がると、塩田平文化財保護協会が建てた解説の標柱があります。その横に、少し崩れてはいますが独鈷山風穴です。昔の写真を見ると、風穴の上に小屋が被さっていました。
二つの風穴とも今は使われていませんが、長和町のものなどは、特産のダッタンソバ等を貯蔵しているところもあるようです。(F森)