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塩田の地名にまつわるお話 古くは遠く熊本と関係あり

「塩田」という地名、これが文献に最初に出てくるのは、平安時代も最末期です。京都に最勝光院というお寺を建て、そこに時の後白河法皇はじめ多くの貴族が全国各地から荘園を寄進したのですが、その中に「塩田庄」も含まれていました。そしてその文書には「年貢として布千反を上納させる」とされていました。
塩田は、江戸時代「上田5万石のうち塩田で3万石」という米どころでしたし、弥生時代から稲作が行われていました。平安時代の荘園というのは、そこでできる米や布などの産物を献上しなければならないのですが、塩田が荘園になったということは、米もそうですが、布といった産物も盛んに作られていたのですね。
 まあそれはともかく地名の話ですが、「塩田庄」の記述より200年以上前の文書である「和名抄」では「安宗郷」(あそごう)という地名になっていました。
この「あそ」ですが、大和朝廷が国造りを行ったとき、当時文化の先進地だった九州からいろいろな氏族が大和平野に移り住んで、国造りに協力したそうです。そして、阿蘇山のふもとに住んでいた「阿蘇氏」の一族が信濃に来て、この辺りを治めたと考えられています。それで「安宗郷」と名付けられたということです。「阿曽郷」とも書かれたとか。
今、塩田には「安曽岡山」「安曽神社」という名前の山やお宮があります。これらが当時の地名とどう関係しているかは不明ですが、遠く阿蘇地方から来た人たちが、故郷を偲んでこうしたものに出身地の地名を付けるというのは十分ありえることかなあと思います。
 ところで、現在の住所で「上田市古安曽」という地名があります。自治会でいうと、安曽岡山や安曽神社のある「柳沢」「石神」「鈴子」と「平井寺」が含まれています。明治初めまではそれぞれが村だったのですが、明治8年に4つ合わさって今の地名になりました。てっきり「古くは安曽と呼ばれていた」から付けられた地名かなあと思ったりしますが、そうではないのです。平井寺に古川神社というお宮がありまして、その「古」と、柳沢、石神、鈴子のお宮である安曽神社の「安曽」をくっつけてたのだそうです。
そして最後に「塩田」の名前です。「安宗郷」が「塩田庄」になったのですが、なぜ「塩田」と付けられたかはわかっていません。でも、塩田には「塩野神社」や「塩吹池」といった「塩」が付いたお宮やため池があるので、なにか「塩」に関係するところから付けられたのではという説があります。ただ、「塩田」を「えんでん」と読む方もたまにいらっしゃるようですが、決して塩を作る所だったわけではないですし、しょっぱい米がとれる所でもありません。3万人が1年間で消費する米を生産する「塩田3万石」の土地ですから。(F森)

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