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塩田平の文化財 -道祖神 その2の前編-

新しい年が明け、1年で最も寒い時期になってきました。
 塩田の多くの地区では、1月下旬から2月上旬にかけて、「道祖神祭り」が昔から行われてきました。子どもたちが主役のお祭りで、地区によってやり方は異なりますが、よく行われているのは、道祖神の近くに小屋を建てて「猿田彦命」(さるたひこのみこと)をお祀りし、夜に地区の人たちがお参りに行くと、子どもたちが接待してくれるというものです。猿田彦命は、天孫降臨で天照大神の孫のニニギノミコトが高天原から天降ったとき道案内をした土着の神様で、旅や道の神とされているので、道祖神の時もお祀りされるところが多いようです。
最初の写真は、上本郷地区で行われた令和2年の祭りの様子です。この後コロナ感染が全世界で広がり、この地区でも、ほかのほとんどの所でも道祖神祭りは行われませんでした。
でも、今年は復活しそうです。
道祖神祭りの象徴である「道祖神碑」については、5年前に1度お伝えしました。塩田を代表する、ある意味ユニークな道祖神を紹介しました。
→ https://shioda-machidukuri.jp/705
道祖神碑は、もともと、悪いものが村に入ってこないように各地区の入口などに置かれたものです。だから、道の神の猿田彦命が祀られているのです。碑の中には「道祖神」ではなく「猿田彦大神」と彫られたものもあります。
そして、塩田には各地に碑があり、ある調査によると170基近い碑が建てられているのです。
今回は、「復活!記念」ということもあり、2回に分けて、これも塩田を代表する道祖神碑を紹介します。
 第1回目は「願海の道祖神」です。保野手塚にあって、天台宗の僧「願海」が「道祖神」と自筆した字が彫ってあります。
願海は、江戸時代の終わりころ、群馬県の出身で、31歳の時に比叡山で最も苦行とされる「千日回峰行」を達成し、「大行満願海」と称された名僧です。塩田が大干ばつの時に手塚に来て、雨乞の祈祷を依頼されて、竜王湧水などの水を湧出させたのだそうです。それを顕彰する碑が手塚や新町にあったり、自分で字を書いた大きな幟を奉納したりと、塩田の人たちとは交流が多かったのです。
その方が書いた道祖神碑。どちらも明治の初めに造られたようです。
保野のは、地区の旧道沿いに置かれていますが、ここは昔「市」が立った所です。
 手塚の道祖神は、新町から手塚に行く道沿いにありますが、この道沿いには、ほかにも願海の顕彰碑や佛頂尊勝陀羅尼塔(ぶっちょうそんしょうだらにとう)という願海自筆の碑もあるのです。こうしたものを見ると、地元の人たちと相当親しく付き合っていたのがわかります。(F森)

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