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泥宮は、上本郷地区の南の上窪という地籍にある小さなお宮です。でも、できたのは相当古いです。
昔、大和朝廷時代の塩田は「安宗郷」(あそのごう)と呼ばれていて、どうも九州の阿蘇地域から人が来てこの地域を治めていたようなのです。その中心地が上本郷。縄文時代や弥生時代の土器などが発掘されていて、特にこの上窪地区は、塩田における稲作のハシリの所だったかもしれません。
祭神は建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)。諏訪大社と同じで、大国主命の次男です。そして、御神体はなんと「泥」なんです。泥は稲作の元となる大地。それを御神体にしているということは、やはり塩田の米作りの先達だったのでしょう。
大地を御神体にしているのは、生島足島神社も同じです。実は、生島足島神社は、この泥宮から遷ったのだという説があります。生島足島神社の西側にある一の鳥居と泥宮の鳥居は向き合っています。また、6年に1度行われる生島足島神社の御柱のとき、一の柱を引くのは、今も上本郷の自治会長です。二つのお宮がなんらかの関係を持っているのは確かなのです。
泥宮の北西に百メートルほど行った畑の中に小さな石の祠があって、地区の言い伝えでは、そこにおられた神様を現在の生島足島神社のある下之郷に遷して、遺霊を今の泥宮のところに残したそうです。確かな証拠というものはありませんが。
この泥宮の中に石で造られた「青面金剛像」があります。「庚申塔」です。庚申塔は「庚申講」という祭事の言ってみればシンボルです。庚申講というのは何かというと、人間の体には3匹の「尸虫」(しちゅう)という虫が住んでいて、60日に一度の庚申の日の夜、人が寝るとその体を抜け出して天に昇り、天帝にその人間の悪口を言いつける、それをさせないために、みんなで一晩中寝ないで過ごすというものです。その庚申講を18回3年間行うと庚申塔を建てるのだそうです。「青面金剛」は庚申講の仏教系の神様で、神道系は「猿田彦命」(さるたひこのみこと)を祀るようです。こわい顔をした青面金剛の下には二匹の猿と2羽の鶏が彫られています。
泥宮のすぐ横にある「上窪池」というため池は、昭和30年代から50年代に塩田の多くのため池で行われた鯉の養殖事業を始めた池で、それを記念した「塩田鯉発祥の地」の石碑が泥宮に建っています。小さいお宮ながらもいろいろエピソードのあるところなんです。(F森)