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洋風建築というと、古いものでも建てられたのが明治期から大正期で、100年から150年くらい前のものでしょう。文化財として考えれば、鎌倉時代や室町時代といった数百年前の神社仏閣の多い塩田では「新しい」もの。
でも、明治になって外国との付き合いが始まり、貿易や戦争など良くも悪しくも関係が深まった、そして「近代化」の道を進んだ日本にとって、歴史の大きな転換期でした。
塩田には、その当時の建築物は、お寺などと比べれば多くはないのですが、上田や塩田の歴史を知るうえで押さえておきたいものもあります。
そこで、そんな建築物を2回に分けていくつか紹介します。
今回は、「旧宣教師館」。
下之郷の高台にあり、「他田塚古墳」(おさだづかこふん)など「下之郷古墳群」のあるところに建っています。見晴らしがよい場所。
明治37年(1904年)に建てられたものです。もともとここにあった建物ではなく、上田市の中心部にあったキリスト教の宣教師の布教の場でした。カナダのメソジスト教会の女性が、その3年前、「上田幼稚園」という幼稚園を造り、その後「梅花幼稚園」に改名、隣接地に宣教師館を建てました。したがって、宣教師たちは、布教と共に幼稚園教育を行う先生で、できた次の年からは幼稚園教諭を育成する「上田保母伝習所」になりました。
その後、昭和15年(1940年)、日本と欧米の関係が一触即発になる中、宣教師たちは帰国してしまいます。
そこで、今の上田東高校の「小県蚕業学校」初代校長だった三吉米熊(みよしよねくま)の子どもで、医師だった敬蔵がこの建物を購入し、住宅兼病院として使いました。
平成5年(1993年)に、上田市が三吉家から譲り受け、今の場所に移築・復元したのです。
木造瓦葺の2階建てで、全体が立方体に近い箱の形。当時のアメリカの伝統的な木造建築なのだそうです。寒冷地に適していて、上田の気候に合っていたのだとか。
向かいには下之郷古墳群。明治期の洋風建物と古代日本のお墓。古墳のあるところは「いにしえの丘公園」と名付けられているのですが、違う時代の「いにしえ」が楽しめる場所ですね。(F森)