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日本遺産「信州上田・塩田平」のストーリーを構成する文化財は、全部で34あります。
このうち、塩田が28あるのですが、6つあるのが信濃国分寺です。本堂、三重塔、石造多宝塔、蘇民将来符頒布習俗、牛頭天皇祭文、八日堂縁日図。
この「日本遺産仲間」のお寺で、12年ぶりにご本尊をお披露目する「御開帳」(「おかいちょう」といいます)が開かれています。4月29日から5月6日まで。
善光寺の御開帳(こちらは「ごかいちょう」)は、6年に一度というか、「7年目ごとに一度」ということですが、信濃国分寺は干支が一回りしなければ開催されないということです。
いつから行われていたかはわからないそうですが、お寺のホームページを見ると、江戸時代になってからと考えられています。
信濃国分寺は、天平13年(741年)に聖武天皇が全国に国分寺を建立せよという詔を出して造られたのです。その後、おそらく戦で焼けてしまい、時期は不明ですが、少し北側の高台にある現在地に再建されました。
本堂に安置されているのは「薬師如来」。寺によると室町時代中期以降の作だろうということです。薬師如来なので、左手に薬の壺(やっこ)を乗せています。また、右手は「施無医畏印」(せむいいん)という印相ですね。「おそれることはないよ」と言っているのです。
1枚目の写真には、その薬師如来が写っています。普段は見ることができず、御開帳の時だけ拝むことができます。信濃国分寺のすごいところが、本堂の内陣に一般の人が入って、仏像を写真に収めることができることです。
高さ1.7mの坐像。間近で拝むことができました。
本堂の前には柱が建っていて、薬師如来の指と五色のひもで結ばれています。手で柱に触れることでお薬師さんの御利益を得ることができるということですね。
御開帳の期間中は、三重塔の内陣も公開されています。国の重要文化財。中には大日如来像が安置されています。
2019年に台風による大雨の影響で崩落した別所線の赤い鉄橋が2年後に復旧した時、そのお祝いで特別公開されて以来の公開です。ここでも仏像はじめ内部の写真を撮ることができました。
生島足島神社や泥宮とレイラインでつながっている信濃国分寺。夏至の朝日や冬至の夕日の時だけでなく、いつも塩田とつながっているような親しみのあるお寺です。(F森)