ブログ

◯と△と▢を五段積んだ五輪塔のお話 県内のほとんどが上田市内に!

塩田の歴史や文化財を主なテーマに毎月1回講演会が開催されている「塩田の歴史・文化を学ぶ集い」
今年の9月例会の演題は「上田盆地の中世石造物~塩田平を中心に~」。講師は、元信濃国分寺資料館館長の尾見智志先生です。
五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、多層塔といった石で造られた石造物は、亡くなった人の菩提を弔うために建てられたもので、中世(平安時代から室町時代頃)に造られたものを長野県で見てみると、東北信で多く、中南信ではほとんどないのだそうです。特に千曲川流域に多く、中でも上田盆地に集中しているようです。
 石造物の代表格である「五輪塔」。五つの石が縦に積まれているものです。上から、丸っこい宝珠の「空輪」、半月形の「風輪」、三角形の「火輪」、丸い「水輪」、そして一番下が四角の「地輪」。この空、風、火、水、地は、「五大」といって、万物を構成する要素ということで、インドから来た考え方なのだとか。
この形を見て、思いついたことがあります。もう60年くらい前になってしまいますが、1960年代に「おそ松くん」という漫画があって(私的にはものすごく懐かしい!)、そこに出てくる「チビ太」という男の子が大好物なのが「おでん」三角のコンニャクと丸いガンモ、円筒形で横から見ると四角のナルトが串刺しになっているヤツ。五輪塔は、その上に半円形の風輪と丸い宝珠の空輪を乗っけた感じですね。
この五輪塔、平安時代終わり頃から江戸時代前期に多く造られたそうで、どこにあるかというと、中世の前期、大きな五輪塔が造られた時期のものは、塩田が圧倒的に多いのです。
 なぜか? 尾見先生は、一つには仏教文化が浸透して、中禅寺や前山寺など古い真言宗寺院があったことを挙げています。最初の写真は、左から舞田の石造五輪塔中禅寺の五輪塔下組の久保の墓地内にある五輪塔です。これらの塔の下から二番目の水輪には、大日如来を表す梵字の「バン」が彫られています。2枚目の写真の文字です。真言宗寺院では本尊になるなど中心の仏様。それが塔に記されているのです。宗教的な意味が大きいわけです。
二つ目は、鎌倉時代の後期に北条義政が塩田に移住するなど、塩田は幕府と深い関係があったこと。中央の文化が入り込みやすい地域だったのです。
そして、五輪塔というのがなぜ建てられたのか?
死者の菩提を弔うのは共通しているのですが、お墓そのものであったり、故人の供養塔、あるいは、墓地の中にあって全体の供養塔としてのものだったりします。
最初の写真の中禅寺の五輪塔の水輪の中には骨が入っています。まさにお墓ですね。昔はみんな土葬だと思っていたら、それは江戸時代の話で、中世は火葬も多かったようです。
 また、久保の五輪塔や3枚目の左の「巴・山吹の五輪塔」は墓地の中にあります。その右の「安曽甚太夫の五輪塔」は、塩田北条氏の家臣だった安曽甚太夫の墓とも言われています。
五輪塔は、時代が後になってくるほど小型化していき、江戸時代に入るとあまり造られなくなったそうです。
塩田にいると、小さいものも含め良く目にする五輪塔ですが、中南信などほかの地域では滅多にないもの。塩田の文化の特徴の一つなんだと感じます。(F森)

関連記事

  1. 塩田平の文化財 -安曽神社 後編 鶏岩の卵-
  2. 塩田の地名にまつわるお話 古くは遠く熊本と関係あり
  3. いつもの夏の恒例行事 中塩田夏祭り
  4. 長野大学の学生がブレンドした発芽コーヒー
  5. 塩田平の文化財 お囃子と神楽その5 新町太々神楽③
  6. 塩田の札所巡り 同行レポート 前編
  7. 塩田スイーツ物語 -くるみ&白黒ごまのおはぎと豆大福-
  8. 塩田の桜満開の動画です

最近のブログ記事

PAGE TOP