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今年2015年は、常楽寺と北向観音堂が開創されて1200年になります。北向観音堂では、10月11日から11月9日まで前立本尊の御開帳が行われます。
そして、常楽寺美術館では、企画展「常楽寺の名宝」展が12月25日まで開催されています。
その企画展の紹介をするのですが、その前に、1200年前に常楽寺と北向観音堂ができたエピソードを、まずお話しします。
最初の写真、石亭竹本興(せきていたけもとおき)の「北向山厄除千手観世音火坑出現図」という絵です。常楽寺美術館で常設展示されているのですが、何の場面でしょうか?
今、常楽寺の本堂の裏手に「石造多宝塔」というのがあります。1200年前、この場所から突然火が噴き出し、人々は大騒ぎです。時の天皇が慈覚大師円仁に命じて、現地で祈りを捧げます。その場面がこの絵なのです。そして、絵の上の方には、金色の光が四方八方に拡がっています。この中心にいるのが千手観音です。そう、北向観音堂のご本尊。
これをちょっと図解してみます。
今の石造多宝塔がある所から火が噴き出し、そこから金色の光が上がり、今の北向観音堂にある桂の木(愛染カツラ)に留まりました。
これが千手観音だったのですが、慈覚大師に「自分の像を彫って北向きに安置せよ」と告げました。そして慈覚大師はその像を彫り、安置するために創ったのが北向観音堂。
そして、観音様が火の中から出現したところに造られたのが多宝塔です。最初は木造だったのですが、その後焼けてしまい、鎌倉時代に今の石造りになりました。
ところで、北向きのお堂は全国的にも珍しいのですが、観音様はなぜ「北向きに安置せよ」と言ったのか?
「北斗七星が世界のよりどころであるように、我も一切衆生(いっさいしゅじょう=生きとし生けるものすべて)のよりどころにならん」というお考えなのです。
人間も動物も植物も、命あるものをすべて救う。そんな観音様と同じ姿をされた前立本尊を拝むことのできる御開帳。こちらも後日レポートしたいと思います。(F森)