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下之郷地区にある上田短期大学。昨年「女子短期大学」から男女共学になりました。
この短大の東隣には上田市立の長野大学があり、その東側の坂道を上がっていった先は、県立の工科短期大学校です。ということで、この辺りは2千人近くの二十歳前後の学生がいるので、少なくとも昼間は、平均年齢が塩田で最も若いのです。
それだけではなく、上田短大には付属幼稚園があって、小学校に上がる前の子どもたちがたくさんいます。幼稚園の前を通ると、黄色い元気な声が聞こえてきます。
この短大の裏には「唐臼山」という山があって、子どもたちの遊び場になっています。
「山」といっても、標高495メートル。短大のある所から30メートルくらい上がるだけの「低山」なんですけど。
幼稚園の裏手の坂にある階段を上がっていくと、頂上には、あづまやと、そのすぐ右手に祠があります。
この頂上の所は、実は古墳です。「他田塚古墳」とか「塚穴原一号墳」など、大小たくさんある「下之郷古墳群」の一つで、「前中山一号墳」と「二号墳」というのだそうです。
またこの山は、戦国時代の1548年の上田原合戦の際、武田信玄軍の後方陣地で、亡くなった人たちを荼毘に付した所と言われています。
この山の西のふもとには、昔「唐臼神社」があって、山頂には「二木大明神」が祀られていました。しかし、明治42年(1909年)に、当時の明治政府が出した「小さい神社は大きなところに移せ」という命令によって、同じ下之郷にある「浅間神社」と統合されました。
で、山頂に今あるあづまやと祠は何なのか?
祠の方は「大雷神社」です。二木明神の跡地で落雷による人的被害があり、地元の人たちが雷除けと雨乞いを目的に祀ったものです。
そして、あづまやです。この中には伐採された松の木があります。しめ縄も張ってありますね。
この松なのですが、江戸時代中期の1776年にこのあたりを新田開発して「新田」集落ができたときに植えられたもののようです。
樹齢が200年を超える長寿だったのですが、30年ほど前に松くい虫にやられて、切り株を残して伐採されてしまいました。
この木なんですが、「ヤマンバの木」という紙芝居に出てくる木と似ているということで、幼稚園の子どもたちが「ヤマンバの木」と名付けていたのです。
そして、みんなに親しまれていた木だったので、伐採されても大切にされていて、昨年、短大や地域の人たちが中心になってあずやまを建てましたし、それ以前も覆いがしてあって、その上からしめ縄が張ってありました。
なにより、子どもたちにとっては、伐採されても「ヤマンバの木」は「ヤマンバの木」なんですね。東前山地区の出身でコカリナ奏者の黒坂黒太郎さんが作った歌「風になれヤマンバの木」や「ヤマンバの切り株の歌」は、今も子どもたちに歌い継がれています。
山頂の入り口には、塩田平文化財保護協会が建てた説明板もあり、唐臼山やヤマンバの木の歴史なども解説されています。古墳や戦国時代の陣地だったという歴史や子どもたちに親しまれている木。歌と同じように、いつまでも引き継いでいってほしい文化財の一つです。(F森)