「蚕都上田」と呼ばれた上田。蚕糸業が全国的にも盛んだったことを示しています。江戸時代末期から蚕種(蚕の卵)を輸出するなど、蚕種製造や養蚕、製糸など全国の中でも「蚕糸王国」でした。
この塩田でも養蚕が盛んで、昭和になって世界恐慌や太平洋戦争等の影響で徐々に衰退していったとはいえ、昭和31年(1956)の塩田町発足後の記録を見ても蚕を共同で飼育する施設が各地にありました。
そんな蚕糸業を支えた施設と人物の紹介です。
別所線の別所温泉駅から、まっすぐ温泉街に向かう道を行って、突き当りにあるのが「倉沢運平蚕室」。
その名のとおり別所出身の倉沢運平さんという方が大正5年(1916)に造ったものです。蚕種製造や養蚕を行う施設で、地上2階で、地下室もあります。
倉沢運平は、江戸時代末期に別所村に生まれました。
養蚕を勉強して、小県蚕業学校、今の上田東高校の教師もしています。蚕種製造家ではあるのですが、蚕種の改良や蚕の飼い方などを研究し、養蚕家などを指導しました。そして、蚕種製造の関係では県の組合のトップになり、別所の氷沢風穴の社長にもなっています。
ちなみに、この風穴というのは天然の冷蔵庫で、山の斜面に造られた、四方を石垣で囲んだ穴で、岩の間から冷たい空気が出てきます。蚕の卵を貯蔵して、自然だと春にふ化する蚕の卵を夏や秋にもふ化させて、繭を年に複数回取ることができるようにします。
氷沢風穴は、明治から大正にかけて使われたもので、20年ほど前に県によって復元・整備されました。外の気温が30度の夏でも、中の岩壁から出てくる空気は7~8度。じっとしていると寒いです。
で、今回ご紹介する倉沢運平が造った蚕室ですが、非常に凝った造りになっています。
まず、蚕の卵をふ化させて育てる蚕室です。床に格子状の窓のようなものがあって、ここから暖かい空気が出てくる仕組みになっています。
1階の蚕室の下に暖炉があるのですが、焚口で練炭を燃やすと、暖かい空気が上に行きます。その暖かい空気が床下を通ってこの格子状のところから出てきて部屋が温められます。天然の冷蔵庫である風穴で保存していた蚕の卵を、温かい部屋の中でふ化させることができます。
温かくする装置だけでなく、冷たいところもあるのですが、それは次号で。(F森)














