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お宮と古墳が同居する札所の観音堂

江戸時代の元禄の頃、全国的に流行った四国霊場のお遍路。塩田からは遠くて行けないということで、21の村の庄屋が集まり、寄付を集めて四国霊場の88体と同じ仏像を造ってもらって、各村に数体ずつ安置しました。安置した場所は、お寺のある村はお寺に、ない村は、お地蔵様や観音様の仏像を置いてあるお堂でした。
そして、現在は札所が26箇所になっていて、春と秋には、塩田仏教会の主催で札所めぐりも行われています。
今回は、これらの札所のうち、新町の観音堂を紹介します。四国霊場の十一面観音など3体が安置されました。
ここのお堂は、とても珍しいところに建てられています。
まず、道から入ると、鳥居があります。もちろん神社の門ですね。そこを入ると、右手には「王子塚古墳」。その右に「氷上王子神社」。そして、その右手に「観音堂」。古墳と神社と仏教のお堂が同じ敷地にあるのです。
 古墳は、塩田の中では一番古く、5世紀から6世紀に造られた「ホタテ貝型古墳」です。前方後円墳の「前方」が四角ではなく、台形になっていて、全体としてホタテ貝のような形をしているのです。その「前方」の部分なんですが、残念ながらほとんど削られていて、そこがお宮の建物になっています。
 そんな古墳とお宮が同じ敷地にある観音堂。江戸時代の1688年の創建と伝わっていますが、明確な記録は無いようです。これが史実だとすると、四国霊場の仏像が安置されたのが1693年なので、その5年前に造られたばかりのお堂に仏像が来たことになります。
創建時には、薬師如来像1体と観音菩薩像3体を安置して「観音堂」と言っていたそうで、そこにプラス3体の四国霊場の仏像が来たので、きっとにぎやかな仏壇になっていたことでしょう。
その後、1786年に「祥雲山龍安寺」と名前を変えて、東前山にある曹洞宗のお寺龍光院の末寺となりました。後に、庫裏を建立し尼僧の妙貞がおられたのですが、いつの頃か無住となり、現在の観音堂となったということです。
そして、長い年月の間に、たくさんあった仏像は盗まれて、平成には1体もなくなってしまいました。
そこで、地元の方々は、平成22年(2010年)に、新たに阿弥陀如来を彫ってもらい、厨子と一緒にお堂に寄進しました。
 今のお堂の中には、この真新しく見える阿弥陀様と、その横には、十一面観音菩薩の写真があります。この十一面観音は、写真で見ると結構古い仏像で、もしかしたら四国霊場の仏像だったかもしれません。
お堂は、内陣と外陣があり、また、欄間の彫り物や天井を支える組み物も立派で、昔お寺だった時の本堂の様子が見て取れます。
新しいとはいえ、ご本尊が戻ってきたことで、札所めぐりの時にお堂の前で般若心経を唱える方としても、やっぱりありがたみが違いますね。(F森)

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