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花の名所は「兵どもの夢の跡」だった

塩田平を見渡せる前山の高台にある「あじさい広場」。その名のとおり7月には見事なアジサイがあたり一面咲き誇ります。そしてそのちょっと奥では、3月にセツブンソウの可憐な花を見ることができます。
 あじさい広場の入り口に立っている大きな石碑。「塩田城跡」と刻まれています。
昔、塩田城というお城があったところなのです。
あじさい広場やその東西に延びている「あじさい小道」のところに内堀がありました。そしてその南側の奥に、700mにわたってお城のいろいろな施設が造られていました。また、ここから北側の、今は東前山の住宅が建ち並んでいる集落には、武家屋敷など城下町が形成されていたようです。
誰が造った城か? というと、昭和40年代までは塩田北条氏だと言われていました。1277年に、当時鎌倉幕府で執権に次ぐNO2だった北条義政が塩田に移住してきて、子と孫の三代、60年近くにわたって塩田を治めた一族です。
ところが、昭和50年代に行われた発掘調査によって、室町時代にできたものとわかりました。そうすると、その時期塩田を実質的に治めていたのは、坂城を本拠とする村上氏の部下の武将である福沢氏なので、福沢氏の一族が築いたものと考えられています。
では、石碑のある内堀跡から道に沿って奥に入ってみます。
今は林になって木が立ち並んでいるのですが、道の両側には、「郭」(くるわ)と呼ばれる、建物などがある平らな区画が20段以上もあったのだそうです。「上田市誌」によると、「信濃においておそらく最大規模の中世の城跡と考えられる」とされています。
急な坂を登っていくと平らな広場に出ます。「虎の口」です。一般的に「虎口」(こぐち)とは城の出入口のことを言い、外部との接点なので危険な所ということでその名が付いたそうです。
でも、この虎の口がある所は城の区域の真ん中あたりよりも山側にあります。それなのになぜこの名前なのかはわからないのですが、広く平らな場所であるここには石積みや井戸の跡があります。写真の赤丸で囲んだところに井戸の穴があります。
 そしてさらに奥に進んでいくと、突き当りの広場に「北条国時の墓」があります。
8月のブログで紹介したものですが、国時と部下の武将の供養塔、そして「横尾迦嶽胎順坊」と刻まれた石碑の3つの石碑がここには並んでいます。これらは江戸時代に造られたものなので、福沢氏の頃はなかったんですけど。でもここが最後の平らな場所。ここから先は山道で、登っていくと弘法山の山頂に至ります。
信濃でも最大級だった塩田城は、戦国時代になって武田信玄に攻められ、1553年に落城します。その後30年ほどは武田氏が支配し、武田氏が滅亡すると真田昌幸公が受け継ぐのですが、上田城が築かれると、ここは廃城になってしまいます。
こんな経過をたどった塩田城。県の史跡に指定されています。林の中に埋もれてしまった感はあるのですが、虎の口の石積みや古井戸をみると、「兵どもの夢の跡」っていう雰囲気がとてもよく感じられるんですよ。(F森)

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